"スタッフ紹介"の記事一覧

プロティアン・キャリアへの道 ~ 第10回「道 / ええねん」

■道 2019年12月、キャリアコンサルタントの資格は取れました。相変わらず、X社で勤務は続けていました。目標は達成したものの、今度は次のアクションが見つからなくなっていたのです。 どの資格でもそうですが、資格を取ったからと言ってすぐに仕事にありつけるとは限りません。まして、キャリアチェンジともなると大幅に減収となります。なので…

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第9回「翼をください / 夢を信じて」

■翼をください 月1回の講座に通うようになり、学ぶ楽しさに気が付いた私。2年目から、少し増やすことにしたのです。 といっても、心理学は学びたかったのでなるべく基礎を学べる講座を探しました。すると、半年で月に2回学べる心理学基礎講座を見つけたのです。気持ちはすでに学びたいモード。新聞社の講座とともに、基礎講座を学び始めました。 …

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第8回「ブルーライトヨコハマ / 未来予想図」

■ブルーライトヨコハマ 大阪の販売会社から、横浜の開発部隊へ。史上初の出来事だと言われました。横浜みなとみらいの北の端に、そのビルはそびえています。とにかくデカい。大阪の事務所の比ではありません。しかも、働いている人たちが日本の上澄みのような人たち。おそらく、各地方で成績が学校で一番か二番のような人たちが、東京の大学に進んで、その…

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第7回「日はまた昇る / ああ無情」

■日はまた昇る その頃は、日雇いのような状況で定期的な収入がありませんでした。それではいけないと思い、看板屋さんのアルバイトに行くことにしたのです。面接の日、妻が仕事に行っており、保育園児の娘の面倒を見ながら面接に行かなくてはならなくなりました。といっても、さすがに面接に同席させるわけにはいきません。仕方なく、ホームセンターのペッ…

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第6回「帰らざる日々 / 翳りゆく部屋」

■帰らざる日々DTPが導入され、とにかく必死に勉強しました。Macのことやネットワークのこと、パソコンや周辺機器などもがむしゃらに勉強したものです。これまでデザインは勉強したことがありませんでしたが、IllustratorやPhotoshopを使うと、何とかなる気がしていましたし、実際なんとかなっていきました。 メニューやPOP、…

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第5回「川の流れのように」

■川の流れのように 神戸ハーバーランドのお店では、主に「事務」を担当しました。タイムカード管理や、釣銭や小口現金の管理、パーティーの予約受付や、制服管理など、色々な業務がありました。 想像以上の激務で、茨木の実家から通うことが難しくなり、神戸で一人暮らしを始めたのもこの頃。食事もちゃんと取らなくなり、10kgほどやせてしまいまし…

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第4回「そして神戸」

■そして神戸 プレハブ旅行会社を退職して、全く自分を見失っていました。 住んでいるのは実家だし、食べるものには苦労しない。だけど何の目標も、目的もない。やりたいことも、何も思い当たらない。このままだと、引きこもりになってもおかしくない状況でした。 そんな中、1か月もたたないうちにかつての船会社の上司から連絡があったのです。(こ…

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第3回「22歳」

■22歳 なんの苦労もなく転職が決まったものの、自分の目標が定まらなくなってしまったのが旅行会社での勤務でした。私が転職したプレハブの旅行会社。グループ自体は、大阪でもかなり大きな企業グループなのですが、私がいたのはその子会社の子会社。地元ではそれなりに名前があるものの、地方では全く通用しない旅行会社でした。 プレハブなのは、駅…

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第2回「春よ来い」

■春よ来い 私が選んだ専門学校とは、「観光専門学校」という学校でした。旅行業界で働くために、旅行業法や旅行業約款、旅行実務や関税などを勉強させてもらう学校でした。 ろくな勉強もせず、ろくな就職活動もせず、たまたま見つけた豪華客船の会社に応募して、10倍を超える倍率での中で正社員として採用され、そこがわずか2年でつぶれてしまうとい…

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プロティアン・キャリアへの道 ~ 第1回「長崎から船に乗って」

スタッフのムラセと申します。「大阪市就労チャレンジ事業」を担当しています。2021年5月にA´ワーク創造館に転職してまいりました。なぜ、この仕事を選んだのか?をいまさらながら綴ってみます。 ■長崎から船に乗って 私は、1970年、大阪万博の年に大阪府茨木市で生まれました。(母には、「あんたが生まれたから万博に行けなかった」と…

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