プロティアン・キャリアへの道 ~ 第8回「ブルーライトヨコハマ / 未来予想図」

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■ブルーライトヨコハマ

大阪の販売会社から、横浜の開発部隊へ。史上初の出来事だと言われました。
横浜みなとみらいの北の端に、そのビルはそびえています。とにかくデカい。大阪の事務所の比ではありません。しかも、働いている人たちが日本の上澄みのような人たち。おそらく、各地方で成績が学校で一番か二番のような人たちが、東京の大学に進んで、そのまま就職されたのでしょう。これまでの私の人生の中で、絶対に接点がない方々ばかり。

とにかく、業務に忠実でまじめで、疑うことをほとんどされないような方々の印象があります。ところが、新規事業の話になると、どうもかみ合わない。会議をしても、自分たちの利益の主張しかやらない。利用者の利便性や、それによる利益を話しても、全く理解されない。現場での必要性をいくら説いても、自分たちの少ない社会経験に照らし合わせて、理解しようとしない。ジアタマがいいので、できない理由をいくらでも思いつく。まるで、子どもたちの砂場でのおもちゃの取り合いのような議論ばかりとなってしまいました。

私が、ここに行くのを嫌がったのはこの点でした。絶対につぶされてしまうと思っていたのですが、はたしてその通りになってしまいました。大企業からイノベーションが起きないのは当然で、どこもこのような事が起きているのだと思います。いつまでいても、何ら進展が見られないと思ったので、1年で大阪へ、引き上げることにしました。ある程度、わかっていたとはいえ、かなりの喪失感。何もやる気が出ないまま、大阪の販売会社へ戻ったのです。

戻ってからしばらくは、頭の中は真っ白でした。もし、家族がいなければどうなっていたかわかりません。とにかく、なにも考えることをせず、淡々と業務をこなしていきました。そのうち、動きたくなることもあるだろうと。

3か月ほどたち、ある思いが浮かぶようになりました。
「学びたい。とにかく勉強したい。」と。
そうして「学ぶ」ために、「学ぶ」場所を探し始めたのでした。



■未来予想図

実は、横浜に行く前になかなか刺激的な出来事があったのです。それは、刑務所に通うこと。悪いことをしたわけではありません。刑務所はほとんど工場となっていて、中に印刷工場がありました。
その中に、勤めていた会社の機械を導入していただき、その技術指導ということで通うようになったのです。

本来は、「技官」という先生がいて、この先生に教えて「技官」の先生が受刑者に教えるということらしいですが、私が取りあつかっていた機械は、とにかく複雑で、業務を熟知していないと教えることができません。ということで、私が塀の中に入ることになりました。一回での時間が大変限られているので、毎回か分けて入るようになり、そのうち、毎月通うようになっていきました。

毎回、事務所でコーヒーをいただきながら伺う技官の先生の話がとにかくおもしろく、同時に尊敬をしたものです。「いつか、こんな仕事についてみたいな」と思うようになっていました。横浜から帰った後、なにかを学びたい、学ばなくてはならないという思いに至ります。新規事業提案の仲間が何人かいたのですが、彼らと議論した中によく「心理学」というキーワードが出ていたのです。宣伝広告やセールスの現場でも、心理学めいたものは使います。でも、これまできちんと「心理学」を学んだことはないと思ったのです。学生のとき、まともに勉強したことはありません。自分でも、どこまで勉強できるかまったく自信もありません。色々調べてみました。(おそらく、当館のことも調べたと思います。)ところが心理学を教えてくれるようなところは、なかなかなかったのです。

そんな中、ある新聞社の文化センターで教えていただけるということがわかりました。早速、申し込んで月1回の講座から、学ぶことを始めたのです。仕事が休みの日に、月一回でも学ぶことは、新鮮でおもしろい体験でした。次第に、もっと学びたいと思うようになっていきました。

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