プロティアン・キャリアへの道 ~ 第5回「川の流れのように」
■川の流れのように
神戸ハーバーランドのお店では、主に「事務」を担当しました。
タイムカード管理や、釣銭や小口現金の管理、パーティーの予約受付や、
制服管理など、色々な業務がありました。
タイムカード管理や、釣銭や小口現金の管理、パーティーの予約受付や、
制服管理など、色々な業務がありました。
想像以上の激務で、茨木の実家から通うことが難しくなり、
神戸で一人暮らしを始めたのもこの頃。
食事もちゃんと取らなくなり、10kgほどやせてしまいました。
神戸で一人暮らしを始めたのもこの頃。
食事もちゃんと取らなくなり、10kgほどやせてしまいました。
この調子で、ずっと勤務していると別の仕事を探す気力も出ません。
結局、この会社で社員として働きたいと伝えていました。
社員となり、堺にある本社に異動となったのは、社員になって2か月目のこと。
家も、神戸から堺に引っ越したのでありました。
家も、神戸から堺に引っ越したのでありました。
本社の営業本部での勤務となり、宴会をとるための営業チームに配属。
顧客データの入力と、告知用のチラシ作成するのが私の主な仕事でしたが、
新店舗のオープンがかなり多く、立ち上げのプロジェクトにもかかわるようになっていきました。
プロジェクトというと、聞こえはいいのですが、要は何でも屋さん。
時には、店の応援にも入っていました。
顧客データの入力と、告知用のチラシ作成するのが私の主な仕事でしたが、
新店舗のオープンがかなり多く、立ち上げのプロジェクトにもかかわるようになっていきました。
プロジェクトというと、聞こえはいいのですが、要は何でも屋さん。
時には、店の応援にも入っていました。
このバタバタした状態が良かったのか、次第に生活も安定し、
悩むこともなくなり、まるで川の流れのように進む毎日になっていきました。
悩むこともなくなり、まるで川の流れのように進む毎日になっていきました。
ある時、X社というところが提案してきました。
それは、現在使っているカラーコピーにMacintoshというパソコンをつないだら、すごい事が出来ますよと。
それは、現在使っているカラーコピーにMacintoshというパソコンをつないだら、すごい事が出来ますよと。
当時、X社の人たちはとてもスマートで、いつも革新的な提案と、寄り添ってくれるような受け答えで、とても輝いて見えたのです。
この時、こんな会社で働ける人をうらやましく思うと同時に、全く何も考えてこなかった自分を恥ずかしく思いました。
この時、こんな会社で働ける人をうらやましく思うと同時に、全く何も考えてこなかった自分を恥ずかしく思いました。
結局、この提案を受け入れることになり、DTP一式を導入することになりました。
Macintoshを導入した日、私はこいつと一生つきあってやると心に決めたものです。
26歳のことでした。
ようやく、自分の目標が見つかった瞬間でした。
Macintoshを導入した日、私はこいつと一生つきあってやると心に決めたものです。
26歳のことでした。
ようやく、自分の目標が見つかった瞬間でした。
それまで流されるだけ流されて、ようやく自分がやりたいものが見つかったのが、26歳のとき。
自分が本気でやりたいことを、若いうち、早いうちに見つけることに越したことはないのですが、いつ見つけても、遅すぎることはないと思います。
自分が本気でやりたいことを、若いうち、早いうちに見つけることに越したことはないのですが、いつ見つけても、遅すぎることはないと思います。
むしろ、じっくり探すことも時には必要。
いくつになっても、学ぶことは大切と思っています。
いくつになっても、学ぶことは大切と思っています。
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