プロティアン・キャリアへの道 ~ 第2回「春よ来い」
■春よ来い
私が選んだ専門学校とは、「観光専門学校」という学校でした。
旅行業界で働くために、旅行業法や旅行業約款、旅行実務や関税などを勉強させてもらう学校でした。
旅行業界で働くために、旅行業法や旅行業約款、旅行実務や関税などを勉強させてもらう学校でした。
ろくな勉強もせず、ろくな就職活動もせず、たまたま見つけた豪華客船の会社に応募して、10倍を超える倍率での中で正社員として採用され、そこがわずか2年でつぶれてしまうという、キャリアのスタートから大荒れとなりました。
実は、進路指導室(今でいうとキャリアセンターですね)の先生からは、「あそこは、確実につぶれる。君にはもっといいところがあるはずだ。俺が探すから待っとけ。」と言われていたのです。
ところが、10倍以上の倍率をくぐりぬけて正社員として採用されたことと、私の熱にほだされたような表情を見て、あきらめられていた様子でした。
今では、プロの言うことは聞いておく方がいいと心から思っています。
ということで初めて入った船会社は、2年でつぶれてしまいました。再び就職活動が始まりました。
怒涛の勤務でしたので、軽い燃え尽き症候群もあり、しばらくはゆっくりしたいと思っていました。
初めてハローワークへ行き、離職手続きをして失業手当をもらうつもりでした。
怒涛の勤務でしたので、軽い燃え尽き症候群もあり、しばらくはゆっくりしたいと思っていました。
初めてハローワークへ行き、離職手続きをして失業手当をもらうつもりでした。
ところが、高校の同級生から連絡があったのです。
「あの会社、つぶれたんやろ?うちの会社に来ないか?」と。
彼は、大手グループの中の旅行会社に勤めていました。
とにかく、面接に来いということでしたので、履歴書だけ書いて面接に行きました。
「あの会社、つぶれたんやろ?うちの会社に来ないか?」と。
彼は、大手グループの中の旅行会社に勤めていました。
とにかく、面接に来いということでしたので、履歴書だけ書いて面接に行きました。
現地についてみると、なんと社屋がプレハブ。
プレハブの隣は電車が走っている。そんな環境でした。
プレハブの隣は電車が走っている。そんな環境でした。
プレハブ内には、場所がないということで、近くのショッピングモール内の喫茶店で面接となりました。
後から聞いたところによると、もう既に採用が決まっていて、確認のためだったというです。
彼がかなり尽力してくれたようです。
後から聞いたところによると、もう既に採用が決まっていて、確認のためだったというです。
彼がかなり尽力してくれたようです。
またしても、ろくな就職活動もせず就職が決まってしまうという悲劇(?)
時代も、まだバブルの名残があり、自分もまだまだ若い22歳でしたのでこんなことができたのだと思います。
時代も、まだバブルの名残があり、自分もまだまだ若い22歳でしたのでこんなことができたのだと思います。
ということで、この年の4月からそのプレハブ旅行会社で働くことになりました。
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